momo kamito official blog

感情と直感・インスピレーションの仕組みを知って、 家族との関係やパートナーシップを改善したい ・愛を生き直したい全ての皆様へ

人は、自分を相手に映す事で、己を知る旅を生きています。
自分を愛することを忘れたまま、男女が出会い時間がたつと、すれ違い傷つけ合い、
その体験や記憶が積み重なり、愛する事も愛される事も恐れてしまいます。
男女は、それぞれが幸せの形を望んで仕事や子育てを紡ぐのに、すれ違っていくこれまでのパートナーシップ。
幸せを運んでくると思った結婚や子育てでの課題を通して、本当の幸せを切り開いていく。
そんな時代が始まろうとしています。そのきっかけを、子供達が運んでくれています。
 
男女は、これまでの多くの時間をお互いの本当の幸せとは、逆の事ばかりを繰り返してしまっていたのです。
恐れから女性を本気で愛せない男性。傷つき疑い、愛される事を諦めてしまう女性。
恐れや虚無感からステータス習得に走る男性。生活と子供のために心の声を抑える女性。
欠乏感を癒す、安心感。その答えは、男女のパートナーシップにあります。
ビジネスとパートナーシップ。それは、全く違うものに見えて、人生を豊かにしていく要素を凝縮しています。
 
愛する事を誇りに思う男性。愛される事に疑いのない女性。
自分を愛し、2人で築き上げていく最小社会から生まれる豊かさとパートナーシップ・仕事・家族・生き方・夢の実現・お金…
貴方が問題と思っている出来事を紐解き、男女が双方が存在意義を思い出し、
欠乏感を癒し安心に還るヒントを、シェアしていきます。

鳥葬

チベットのとある村では、

「鳥葬」という方法で、亡くなった人を弔う習慣がある。



交通事故で亡くなった少女。

僧侶は、彼女の身体を切り分け、
崖の上の壇上へと、置いていく。





それを待ち構えた鳥たちが奪い去っていく。



「鳥葬」は、

「人間は特別な存在ではなく、自然の一部である」という、
考え方の下、このような弔い方法が取られている。



命が終わり、それを次の命が繋ぐ。


「人間」は「特別な存在」ではないという思想がこの国にはある。

そして、様々な病や、問題は
抱く「感情」が下になるというチベット医学。


これもその思想に基づいて受け継がれてきた。



人の「苦悩」は、何かを「特別」にした瞬間から始まる。


恋人。
「私を守ってくれるはずだ」

友人
「大切に思ってくれるはずだ」

子供
「〜に育ってほしい」

色々な人や、モノを
自分の思考のクセ「観念」の枠に当てはめて、「特別」な存在にしていく。

「ありのまま」を見ずに、相手を「役柄や枠」をはめ込んでしまう。

人はどうして「特別」にしてしまうのだろう?

それが自我の「操作性」。
(自分の思い通りにヒト、モノをコントロールしたいという欲求)

自我の存在理由は「判断する」「コントロール(制御)する」こと。


本来、私たちは「思考(自我)」ではなく、それを扱う本体であり、
思考はただの機能であった。
(思考は悪いものではなく、危険を判断して、適切な行動を取るなど、本来は、有用な機能です)



それが、「無意識」による行動、体験の積み重ねの中で、
思考(自我)に一体化して、
本体を置き去りにしてしまっている状態にある。


本来の自然な状態は、
体験を直接的に「体験」する。
(そこに判断はない状態)


いい悪いはなく、「ただ雨が振る、嵐が去る」

これに思考が入ってくると判断(特別にする)が始まる。
「雨が振って、今日はついていない」




自我(思考)が肥大化して、「特別」にする存在やモノが増えるに従って、
ヒトは苦しくなってくる。


「自分ルール」を自分だけに出なく、外側の世界(他人や出来事)にも当てはめ出す。
が、それは多くの場合、
思うようにはいかない、そこで「苦しい」状況が生まれてくる。


自我が肥大化するに従って、「苦しい度合い」も増していく。
ガチガチルールの中に、自身を、外の世界(人、出来事)をはめ込もうしても、それは元々うまくいかないように
出来ている。


けれど、「苦しい度合いが増す」事自体は、悪いことではなく、

「苦しい度合い」が増すと、人は疑問を抱き始めます。


「どうしてうまくいかないんだろう」
「こんなに頑張っているのに…」


この「自我」に対する疑問が、「思考」の存在に気付くきっかけを生み、
その「思考の存在に気付いた存在」にも気付くきっかけとなっていきます。


本来の私達とは「判断する思考」ではなく、思考を機能として扱う本体です。



思考は「判断」必要な時にだけ、機能させる。
食べ物が入ってきたら、消化する事と同じです。


色々な「自分ルール」を自分に、他人に課していた頃。
いよいよ苦しくなってきた時期がありました。

「うまくいかなさ度」にほとほと頭を抱えてしまったのです。


「どうしてこうも思うようにいかないのだろう?」
「こんなに我慢して、他を優先しようと努力しているのに…」


「意識」を思考から本来の私達に戻していく過程には、
二つの大切な段階があります。


一つ目は、蓋をし続けてきた感情を解放していく事。

長いあいだ、押し込めてきた感情は
「解放」されることなく、自身の中にあるため、
それは日々の生活に影響を与え続けます。

過去の体験で感じたある感情。
似たような出来事や人の言葉をきかっけとしてそれは、無意識のうちにフラッシュバックして、
あの時と同じ反応をしてしまうのです。

その蓋をしてきた度合いが強ければ強いほど、
「今」の景色の中に「過去」を見ています。

感情は、本来解放していくものなので、
解放するまで、その感情を引き出す「体験」を繰り返してしまいます。


苦しさが限界値に達した頃、浮かんだ疑問がこれでした。

「なんで一番嫌な事を感じさせる言葉ばかりを言われるの?」
「何処に行っても同じような嫌な事ばかり起きるのはなぜ?」


「同じような事ばかりおきるのはなぜ??」と思っている方は、
その「同じ感情」を解放(感じる)してほしいというサインです。

その言葉をいった「誰か」は、「自分の中に溜まりに溜まった感情があるよ」
と教えてくれる
大切な郵便配達人になってくれています。


二つ目は、思考から離れたニュートラルな意識状態を体験して、それを定着させていく事。

これには、思考を観察する事を「習慣」にする必要があります。

思考の延々と続く出口のないおしゃべりを「ただただ放置して観察し続ける」
観察している状態は、「思考と一体化」する事はありません。

思考のグルグルを
「うわさ話が大好きなおばちゃん」と思って、放置、
または、そうだね、そうだねと聞く。

思考のクセから抜け出したいと思っても、
人は「慣れ親しんだ状態」を好む傾向にあります。

それが苦しい状態であったとしても。


思考を観察するには、

「ひとつの行動しかしない、その一つの行動に意識を集中させる」

テレビを見ながら、ご飯を食べて、おしゃべりもする。
電話をしながら、パソコンを打ち、メモもとる。

普段私たちが何気なくやってしまうこの行動は「無意識状態(思考との同一化)」をうみます。

本来、人は「一つの行動」しか出来ないようになっています。

テレビを見ながら、ご飯を食べて、おしゃべりをしているその時
「食べて」はいないのです。

だから、「満足感」を感じにくく、「食べてしまう」事を続けます。



これも、自身の体験を通して、体感した事です。

体験とは、「体験しているからこその説得力」を持ちますが、
個人の体験とは、それ自体が「思考」が生み出す「幻想」そのものであるけれど、

身近に感じたり、シェア出来る部分があったら
何より嬉しいなと思い、

体験や例を含めた「意識の変容と、その過程」を、
綴っていこうと思っておりますm(_ _)m

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