momo kamito. official blog

White Iris いのちのお話

めーそーする。(瞑想する) 

世界中、様々な瞑想法がある。


共通するのは、

「思考を客観的にみている事」のようだ。




言葉にすると、余計に本質からずれていくのが、
もどかしい所である。

「言葉」とは、
その「言葉」が持つ「意味」を共有している人にのみ
正しく通じるものだから。





禅、超越瞑想、フルフィルメント瞑想、ヴィパッサナ瞑想、
ハート瞑想、アタナハ瞑想…




入り口はその人にフィットするもので、
行き着く所は同じ。



それには、

「ただ一つの事だけに意識をむけて行動する」


禅では、ただ落ち葉をはく。
掃いている間、様々な雑念が頭をよぎる。


それでいい。

雑念を払おうとしたり、
考えないようにするのでなく、

浮かんでは消える、その雑念をそのままにしておく。
そのままに、眺める。




ただ、掃く。



すると、「雑念」が客観的に視える、聞こえる・



「雑念」は「私」ではない事に気付くために、

「一つの行動だけ」をする。


「一つの行動だけに集中する事」は、
「雑念(思考)」が「私」でない事に気付くためのWAY(方法)、近道だ。



そして、その「雑念」は雑念ゆえに、
それに囚われている限り、答えはない、と気付く。


WAY(方法)世界中、瞑想や禅など色んな方法がある。

けれど、本質、真理は一つ…



瞑想は、黙って座っていなくてもできる。

私は、洗濯、洗い物をしている間が瞑想。

ただ、それだけに意識を集中してやってみると、
どうだろう?


「次はあれをやって、これをやって」と思ってやる洗濯は
「急かされている」ように感じ、
そこに充足感はない。


後も先も考えず、

「いま」の「洗濯」だけ。それだけ。



服を持つ→たたいて伸ばす→洗濯ばさみではさむ→
また叩いて岩を伸ばす→膝を曲げる→服を持つ


「洗濯物を干す」だけで、

実はこれほどの「行動」を行っている。



これは、本来はすごい事。

これほどの行動を含む「洗濯」をするアナタはすごいのです。



「「その順番や、適切な干し方を「瞬時に」判断している。」」

「瞬時の判断」は、「思考」が成せる素晴らしい能力。



けれど、これを「無意識」で行うとどうなるのか?
思考の暴走へと一体化していく。

人は「どれだけやったか」ではなく、
「どうやったのか」で充足感を感じるように出来ているから…。



Fairy tale (おとぎ話)を通して、綴ろう…