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momo kamito official blog

感情と直感・インスピレーションの仕組みを知って、 家族との関係やパートナーシップを改善したい ・愛を生き直したい全ての皆様へ

人は、自分を相手に映す事で、己を知る旅を生きています。
自分を愛することを忘れたまま、男女が出会い時間がたつと、すれ違い傷つけ合い、
その体験や記憶が積み重なり、愛する事も愛される事も恐れてしまいます。
男女は、それぞれが幸せの形を望んで仕事や子育てを紡ぐのに、すれ違っていくこれまでのパートナーシップ。
幸せを運んでくると思った結婚や子育てでの課題を通して、本当の幸せを切り開いていく。
そんな時代が始まろうとしています。そのきっかけを、子供達が運んでくれています。
 
男女は、これまでの多くの時間をお互いの本当の幸せとは、逆の事ばかりを繰り返してしまっていたのです。
恐れから女性を本気で愛せない男性。傷つき疑い、愛される事を諦めてしまう女性。
恐れや虚無感からステータス習得に走る男性。生活と子供のために心の声を抑える女性。
欠乏感を癒す、安心感。その答えは、男女のパートナーシップにあります。
ビジネスとパートナーシップ。それは、全く違うものに見えて、人生を豊かにしていく要素を凝縮しています。
 
愛する事を誇りに思う男性。愛される事に疑いのない女性。
自分を愛し、2人で築き上げていく最小社会から生まれる豊かさとパートナーシップ・仕事・家族・生き方・夢の実現・お金…
貴方が問題と思っている出来事を紐解き、男女が双方が存在意義を思い出し、
欠乏感を癒し安心に還るヒントを、シェアしていきます。

乙女椿 〜「私がなくなっていく」 =子宮への回帰への最初の一歩〜

桜が満開を迎えていますね。


ですが、ここでは乙女椿を…。


乙女椿が咲く短いこの季節。

「彼女」にとっては、とても感慨深く一年前を振り返る季節です。




乙女椿が咲いた頃。

あんなに大好きだった花、緑、
こんなに大切にしてきた人、
大好きだった服、

「これが好き」
「これが嫌い」

「私は〜、あなたは〜」

今まで「自分(他の全ての人)」を「定義」していたあらゆるものが、
その意味をなさなくなる最初の体験
でした。



「自分を何も定義しない」とは、
「自分」がなくなる感覚とも表現できます。


これを「思考自我の崩壊」とか、
なんて言葉でも表現されますが、


そういった事に「知識」がなかった彼女にとっては

「望んで起こった好ましい状況」などではなく、


「これから「私」という人はどうなっていくんだろう」
「「私」を取り巻く家族と環境は壊れていくんだろうか」という

「未知」への「恐れ」が大半を占めていました。


けれど

ある部分「降参」している感覚と
色んなものが入り混じった季節でした。


「恐れ」を感じていた部分とは、


食欲が全くない事への疑問、
五感への感覚障害が頻発していた事、

抑えようのない(今まで感じた事のないくらいの)感情

夜になると始まる覚醒状態
(思考(人の中に無意識の内に働いている)のメカニズムや今起こっている事への意味の伝達
 etc)


「降参」していた部分とは、
もう「わからない体験」領域で手も足も出ない
というか、「出し方」すら分からない

結果「降参するしかない」と表現するのが一番近いように
感じます。


「思考」には絶対的な「特徴」があります。
「二元性」(特別性)と表現されます。

殆ど全ての人に「無意識の内に」働いている思考メカニズムで、
この「二元性」に沿って

人は、色んなものを「判断」しながら生きています。
「無意識に働いている」という所が、
悩ましい所で、

無意識」であるから故に、
「思考」の存在の知覚が難しいと感じられたり、
「思考」を「自分である」という錯覚を起こしてしまう
原因でもあります。


思考自我のメカニズムとして、
「善悪、優劣、貧富、愛憎」など、

プラスとマイナスの対が、いつの時もセットにするという
「特徴」
です。

これが、
人の「苦(問題と感じる状況や人間関係、これが発展、カタチを変えると
病気や痛みのカタチにもなります)」を作る大元になる
メカニズムです。


「大好きな人」が、顔も見たくない程、「憎らしい人」になり得るのは、
その人が何か「裏切り行為」としたからではなく、

「私たち自身」が「思考」と一体化して、
そのメカニズムの中から、物事や人を「判断」しているからです。


思考と一体化している時の「愛」とはいつでも反対の「憎」になりえる
可能性を含んでいる「愛」です。

乙女椿の頃、彼女は、

「思考」なるものがある事を
その外側から体験していきました。


けれど、そこから「抜け出した」わけではなく、

「外側から思考を体験する」とは、
その「二元性」のメカニズムを「知りながら体験する」という点で、

抜け出したいのに、抜け出せない
歯がゆく、もどかしく、苛立ちを感じながら、


そこから「離れていく」練習を始めた時期でもありました。


離れる際に
内なる自己(子宮)からのパイプ役を主に担ってくれたのが、

daisukeなる方で、

(本や、あらゆる出来事や人の会話の中にもそれ(内なる自己からのパイプ役)
があります)




大切なことは、「daisukeなる人とコンタクトをした体験」ではなく、

その彼女にとってのdaisukeを介した体験が、カタチを変えて、


全ての人の前に起こっているという事です。



アナタにとってのdaisukeとは、


テレビの中のある「セリフ」かもしれないし、

ふと目に留まった新聞の単語かもしれません。




あなたにとっての「それ」(内なる自己への回帰のパイプ)は何でしょう…
今日は桜かな??

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